吹かれて葺かれて、わたしは葦

方法的非方法。徒然なるままに。

造形としての煙

 無風帯における煙、最高に美しい立体造形だと思う。空間芸術たる彫刻でありながら、時々刻々と移り変わってゆく時間芸術の側面も持ち合わせている。そこに静止はない。引き続き立ち現れる「今」があるだけである。見えない空気の精霊がそこに踊っているのが見える。
 私はかつて、単に香りを楽しむために、またときにストレス発散のために煙草を吸っていた。でも、香りが楽しいのも最初の二口、三口程度だし、風が強いところだと変に燃えてしまって、ほとんど大しておいしいとも思わない煙を呼吸しているだけになってしまう。
 今は視覚で煙草を味わっている。人の出入りの激しい喫煙所や、屋外ではもちろん吸わない。あまり混んでいない喫茶店の奥の方に席を陣取り、吐き捨てるようにではなく、口からやさしく溢すように、吸うときもクールスモーキングと呼ばれたりするが、熱いスープを啜るように口に含んで、煙草を燃やしていく。
 味は二の次であるが、風のないところで煙草を吸うと、案外半分ほど吸い終わってもおいしい煙が吸えたりもする。煙の出を重視しているので、吸うのはミリ数の高い煙草である。メンソールの類は不要です。
 はじめはそのルックスに惹かれあって付き合いはじめたカップルは、次第にルックスに飽きが来るようになる。それでも別れる理由がないからと、だらだらと親密になったり疎遠になったりを繰り返しているうちに相手の内面に美しさを見出だすようになる。
 と、こんな例がありますが、私とセブンスターとはそんな恋人のようなものでした。いつまでの付き合いになるか分かりませんが、今はこういう付き合い方をしています。