吹かれて葺かれて、わたしは葦

方法的非方法。徒然なるままに。

2018-03-01から1ヶ月間の記事一覧

こねくてっど

つながってないのにつながってる恐怖。しゃべったことも、面識もないのに誕生日を祝ってくるは人たちは何様なのか。売名行為、あ、失礼しました、自己ブランディングですね、の一環で挨拶回りしてるようなのやら、定型文をただ送るだけ、というやつ。もう嫌…

ほん

本を読むモチベーションっていろいろあると思います。仕事で、ゼミで、課題で、あまり興味のない分野の本を読むとなれば身は入らないかもしれない。でも扱われている内容が自分にとってとても関心のあることだったらきっと食い入るように読めると思う。 以上…

ひ、と

ひとをかたりはじめることで、ひとのひとりになっていく、そのことをしっているから、ひとはひとのことをはなすしひとでなかったころのじぶんをおもいだすことはもうない、ひとをかたるな、もうひとでしかなくなったからついでにつごうよくのうりにうかんだ…

圧縮アンドfly

ルサンチマンの宛先でいたくないから弱者であろうと言った、それもまたルサンチマンだよね、ある永劫回帰(二留)した友人は、きみは人間っぽい人間っぽい、っていわれて、それは人間の度合いが高いことなのか、それとも度合いというものがあるとしてそれを…

SNSを見るしんどさ

あらゆる言説、表現活動は自己弁護の側面を持っている。 SNSなんかの変換の度合いの低いものだと特にそうだと思う。だから、SNSばかり見てると窒息しそうになる。僕みたいな人間は逐一ひとの投稿を対象化していないとどうにもやりきれない。だからしんどい時…

しんだし

いつも詩は「死んだ」ものらしい。 現代詩は、詩の形式で詩が死んだことを嘆いているものだ、みたいなのを聞いたことがあるし、今、酒を飲みながら読んでいる李白も、彼の五言古詩で正しい詩歌は久しく廃れたままだ、と言っている。 いつだってわたしたちの…

意味のない三月十一日午前四時の話

目が覚めているまま、こわい夢を見た。けっして、現実がこわいとか、いやなことがあったということではない。ひとつ、のぞいてはいけないものをのぞいてしまったような後ろめたさが、顎から糸を引いて垂れている。不気味に背の足りない幼子が、母親に抱かれ…

いるだけで、うばう

存在することの暴力性。 ただいるだけで暴力。 わたしはだれかの無で、わたしの無がだれかの存在である。 じゃあ死ねといっているのか、といわれたら、そうではない。死んでも存在はなくならない。いた事実、あるいは未来の呼び水としていつもそこにいる。 …

二口目のビールが教えてくれたこと

いつかの自分に言ってやりてえ「生きている」実感は欺瞞だ真に生きている瞬間にはその「生きている」さえも超越している 超えろ超えろ超越、ニーチェは言ったなあ、超人たれと、燃えた瞬間が勝負だ、超えろ、破壊せよ充せ、充せ!! 充溢、溢れろ、心から体…

逃げるな、振り返るな、焦るな

雑誌を見るのが、新聞を見るのが、こわい。 特に自分にとって大切なテーマが扱われていたりすると、鼓動が速くなるのも、耳の裏がピリッとするのも、交感神経。 人は変わるもの、でも人が変わるのよりもずっと速い速度でモノが変わっていく。自分が変わりき…

ロンリーナイト

随分身勝手な「論理愛好家」であったと思う、ある時分のわたしは。「論理愛好家」たる所以を理性のことばで掘り出すことをしないで、おいて、そこには中途半端な合理化とも正当化とも呼べない屁理屈をつけて、おいて、他者には容赦なく論理の金網を押しつけ…

ちゃんと統計やってるひとはその弱点も知っている、統計的に

久々にテレビを観たら、アメトークで家電芸人をやっていました。AI家電なるものがあって、すんげえなぁ~とか思いながらみてたんですけど、そこで出てきた鍋っていうのが、最近肉の料理が多かったら、「最近肉料理が多くないですか」って言ってくれるもの。 …

ねむりにつくまえのぐちゃぐちゃを、ここに

そもそも、人間なんて過小評価か過大評価しかしないしされないものであるけれども、そこに安住することがある生きづらさを生み出しているのではないかと思う。できればその過小でも過大でもないところがきっと存在する。いや存在しないのかも。一点があると…