吹かれて葺かれて、わたしは葦

方法的非方法。徒然なるままに。

ちゃんと統計やってるひとはその弱点も知っている、統計的に

久々にテレビを観たら、アメトークで家電芸人をやっていました。AI家電なるものがあって、すんげえなぁ~とか思いながらみてたんですけど、そこで出てきた鍋っていうのが、最近肉の料理が多かったら、「最近肉料理が多くないですか」って言ってくれるもの。

なるほど、AIと人間、だいぶ近づいてきたな~、人間のこと気にかけてくれるのうれしいな~

 

……とは素直に思えないのがひねくれているわたしでして、他者を気にかけることばってどこから発されるのか、なんて考えてしまいました。

たとえば、一人暮らしで食生活の偏った恋人に「ちゃんと野菜食べてる?」なんて尋ねるときには、最近肉ばっかり食べてるみたいだから、とか冷蔵庫にまったく野菜が入っていないから、だけではなくて、ただ体調を、大切なその人を思いやるがゆえだと思います。なのにそれを字面だけ追って、統計的に偏りがあるから声をかける、というふうにとらえては、大切なものを見落としてしまう。

別にAIと人間の境目がどうとか言いたいのではないし、AIと比べたときの人間性はどこにあるのか、とかを考えたいわけではなくて、統計的に処理されたデータに「人間風の」「声」を割り当てようとおもう人がいる、ということにすこしヤバさをかんじる、ってこと。

 

 

ベジタリアンの恋人に、「最近野菜食べてる?」って声かけることがあったっていいじゃない。