吹かれて葺かれて、わたしは葦

方法的非方法。徒然なるままに。

こねくてっど

つながってないのにつながってる恐怖。しゃべったことも、面識もないのに誕生日を祝ってくるは人たちは何様なのか。売名行為、あ、失礼しました、自己ブランディングですね、の一環で挨拶回りしてるようなのやら、定型文をただ送るだけ、というやつ。もう嫌気が差してるんですよ。ぼくが誕生日をどう捉えてるかとか考えずに、誕生日だから祝う、いや、祝うというよりただ定型文のメッセージを送る、という無神経さよ。毎朝、Facebook開いて確認するんですよね。AさんとBさんが今日は誕生日、明日はCさんだ、って。そして、この無人称的アルファベットが、ただの例ではなくて、そういう人たちにとっては本当に無人称なA,B,Cでしかないのだと思う。そうでないならぼくの返信にも多少は応答があってもよかろうが。だから、そういう人たちは以降、友達解除することにしました。Facebookは、ぼくの顔で、本名で、やってるものなので、あくまでも人間対人間の意識がほしいのです。「今、目の前にいるホンモノの人間」にしかなかなか実感を持ちづらいものだけれども、メッセージをくれた、あるいはメッセージはくれなかった「友達」のことは大切にしたいと思います。

p.s.
あ、しっくりくることばが見つかった。これモバゲーやらでよく耳にした「数友」ってやつだ。

 

 

 

ここまで勢いで書いたところで、彼らはなぜこんなふうにむやみやたらにすっからかんのメッセージを送るのか、ってのを考えてみたくなったので、それをまたゆっくり書こうと思います。