吹かれて葺かれて、わたしは葦

方法的非方法。徒然なるままに。

雨止み上がり、病み上がり

この世で最初に触れる光が蛍光灯であるぼくたちは、最も酸化していない網膜に太陽の蟹を刻みつけることは出来ずにいる。日の当たらないところで産まれるベイビーたち。焼き付くまで、順応を待たない日の光に網膜を焦がしてくれと願っている。視野の真ん中に、焦点が合うはずのその場所に、いつも太陽の残像を。死ぬ瞬間まで、そこで色を奪い続けていてほしいと、そう願いながら、涙を流して今日も太陽を見る。外気から、微小な神様のいたずらから、守ってくれるからって、ビニールとプラスチックとに覆われて、わたしたちは保存食品でしょうか。あるいは非常食の方が長生きかもしれない。約束された5年がちゃんとやってきたことに感謝をしながら、どこかでは憎みながら、5年目最後の日に封を切る。きっと閉じ込められた日から変わらぬままのベイビーが産声をあげる。初めて会ったみたいに泣いている笑っている。今日が人間最初の日みたいに。今日はおめでたい日だから、赤飯を炊こう。いっぱい炊こう。保存食品の赤飯をいっぱい炊こう。最近のは案外美味しいんだよって、5年前の赤飯を食べながらくだらない会話をしていよう、いつまでも。