吹かれて葺かれて、わたしは葦

方法的非方法。徒然なるままに。

忘れたくない!忘れてしまった!

記憶を喪う怖さ。これを今ひしひしと感じている。わたしはお酒が好きです。そして、お酒を大量に飲むと記憶が曖昧になります。当然ですね。多少曖昧になるくらいならいいけれども、会話の内容を覚えていなかったり、思わぬことを知らないうちに口走ったりしていたりしたらそれはやっぱりシャレにならない。

そして今ひしひしと記憶を喪う怖さを感じているというのは、まさにそのシャレにならない酔い方をしたためでございます。

わたしたちは大切な話をしていた。わたし自身の話もしたけれども、相手の大切な話をいっぱい聞いた。そして、その残骸だけが記憶のあちこちに散らばっている。最近見た夢の話も混ざっていたり、街角でふと浮かんだ想念が溶け込んだりしている。境目がよく分からない。わたしはこわい。

人間のアイデンティティーはせいぜい己の記憶の連続くらいにしか見出だすことができないという現実がある。幼年期の思い出や、先週の失態、さっきの興奮、こんな自分の記憶、記憶、記憶が今のわたしの中にあるということ(あると思えているということ)が自分が自分であるということの証明になる。それでいうと、わたしはアイデンティティーを見失いかけているということができる(一時的なものではあるが)。自分が存在はしていたのに、それを認めることができない部分があるということ。アイデンティティーというのはかなりその人そのものである。わたしは今とても不安である。

不安の理由。それはアイデンティティーの喪失と、大切な話だったのに忘れてしまったという自己非難と。今日もわたしのスーパーエゴは大活躍。

認知症というのがある。直近の記憶から無くなっていくらしい。細かいメカニズムは知らないが、認知症が進行していく仮定でその人はとても不安になることがあるそう。それは、自分の記憶が穴ぼこになっている、ということが自覚できているとき。つまり、その人のアイデンティティーが失われそうなとき。記憶が明瞭な人と、逆に記憶を忘れて忘れて、忘れていることさえ知覚できない人にはこの不安はない。アイデンティティーの危機はないから。と、このように認知症の途中の段階にはこの恐怖があるらしい。

わたしはそれに近い状態にあると思う。もちろんこのまま記憶をなくしていくことはないはずだし、喪失した部分を挟んでまた今日から記憶が紡がれていく。でも、とてもこわい。不安に押し潰されそうです。

酒を控えようと思っている。まったくの断酒は現実的ではないけれども、記憶がなくなるほどの泥酔はしたくない。

記憶は人間を発展させもしてきたものでもあるけど、それはやはり業を備えている。わたしは自分の記憶をもっと大切にしたい。しなければならない。