吹かれて葺かれて、わたしは葦

方法的非方法。徒然なるままに。

きみが可愛すぎて死にたい

shi ni ta i
shi n do i

ka wa i i
ka wa i so

 

 

「死にたい」と「しんどい」は音が似ている。
「可愛い」と「可哀想」は音が似ている。

 

 

 

ふと溜息をついて、「しんどい・・・」と呟くとき、その声さえも明瞭な音にならなくて、聞く方の自分には「死にたい」って言っているように聞こえた。

 

「きみは可愛いね」
ときに暴力的な言葉である。そこには「可哀想だ」というニュアンスも読み取れるからだ。

 

 

人間はどのように言葉を認知しているのか、それはわたしの関知しないところですが、Aという単語を発するときに、それと似た音の別の単語(B)が頭をよぎるということがある以上、AとBは無関係ではないと思う。

 

可哀想なものには可愛さを見いだしたくもなるし、死にたいときにはしんどいものだ。無関係ではないと思う。

 

 

言霊というのがある。
そこに霊性、神性を見出だすかどうかは別にしても、人間自体が思考を言葉に負っている以上、やはり言葉を大切にしないといけないと思う。

 


言葉は先人たちからの借りもの、預かりもの、授かりものだから。

 

 

 

 

きみが可愛すぎて死にたい。

きみが可哀想でしんどい。