吹かれて葺かれて、わたしは葦

方法的非方法。徒然なるままに。

うつくし

必然的なものだけが美しいのです。自己顕示欲や「政治的な」意図、それからルサンチマンの発散、そういったものの手段であってはいけないのです、美は。今までの経験や想念が折り重なり、重なって終に、語り出さずにはいられなくなる。そういうものとして美はあるのだと思う。ドロドロの自我を固着させるために、今はそれでいいのかもしれないけれども、それで美をつかんだような気になっていてはたぶん、よろしくない。花が美しいと言われるのは、その咲き方、咲く環境が必然必要だから、ある名画が美しいと言われるのは、その構図、線の位置、色、もろもろに無駄なものがないからなのです。どうか忘れないでいてほしい。必然は永遠でもあるのです。必然を通して、時間を超えられるのです。