吹かれて葺かれて、わたしは葦

方法的非方法。徒然なるままに。

溶ける服、めいさい

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ああ、迷彩服のかっこよさを語りたい。あらかじめいうと、私はブランドに詳しいわけではないし、ファッションに特段興味があるわけではない。アパレルの知識といえば、ユニクロとGUが同じ親会社の元にあるということ、プラダは悪魔が着るものだということ、せいぜいこれくらいなもの。さて、そんなわたしが迷彩服のかっこよさを語ります、聞いてください。
 
 
 
 
そもそも迷彩服には木々に、土に、自然に、風景に紛れるという目的があったはずです。敵から見つからないように、地形に溶け込むという目的が。
 
でもそれが今や、スカート、パーカー、リュックサック、いろんなものの柄になりました。最初に目をつけたデザイナーさんがどなたかは分かりません、でも、きっとかっこいいと思ったんだろうと思う。たしかにデザイン自体もおもしろい。
 
 
 
そして、今の時代、都会における迷彩服になっているのが、カタログに載っている服、マネキンが着てる服です
 
「今期は縦セーターが流行りです。」
タートルネックが、ワイドパンツが、ボーダー柄が。
 
 
 
本人が明確に意識できているかは別として、大衆向けに宣伝されているものを着るのは、同じく大衆に向けて宣伝されたものを見る人がいて、その人も着るだろう、という前提を踏まえての話です。
 
人の森に溶け込める服、まさに迷彩服。
まさにカモフラージュ。
 
 
 
 
そして、大衆向けの宣伝が成功しているこの時代だからこそ、迷彩服は異彩を放つ。
 
 
 
迷彩服を着ることで、周囲から浮くという逆説的なおもしろさ。
溶け込むための服で浮き、そうでない服が溶け込んでしまう。
 
 
個性的だと、魅力的だと感じるものが実はただの迷彩でしかなかったということ、そのことを剔抉する破壊性。
 
 
これこそ迷彩服のかっこよさ。
 
 
 
 
 
迷彩服はもとは戦闘服であった(今も軍人は着ます)。
 
 
が、軍人ではない私たちにとって、今も戦闘のための服だ。
 
 
それは、あつらえられたエンタメに迎合する人たちとの戦闘。
 
それは、人間性を失いつつある人たち、失わせつつあるものとの戦闘。
 
 
 
 
 
 
さあ、カタログを破ろう。
 
 
さあ、マネキンを解体しよう。
 
 
さあ、迷彩服を着よう。
 
 
 
 
 
 
追伸
葦です。ブログを始めます。方法的非方法の実践を。
(試論?随筆?)エッセイです。いろいろ書いてみる。
 
気が向いたときに、書きたくなったときに更新します。
よろしくお願いします。
読んでくれてありがとう。