「時間は大切だよ」を伝えるのに小一時間
時間の大切さについて小一時間ほど説教を受けました。はじめはこれはある種の喜劇なんじゃないかと思っていたのだけれど、実は本当にその説教の通りなのかもしれない、と思うようになった。時間の大切さを説くのであれば、その時間は短いに越したことないように思える、「普通に」考えれば。数分で終わらせてくれ、と思うのは自然なことのように思えます。でももしかしたら、時間が大切というのはきっと、節約すること、効率を求めること、ではなくて、その激流にあえて身をさらすこと、そこに味わうこと、痛みを受け入れること、なのではないか、と思ったわけです。その小一時間に埋没しきること、それが時間を大切にすることなんじゃないかと。今回の説教でなくとも、時間はいつも流れている、そこに身をあずけることはできるのではないかと。
先日、いつも使っている電車が人身事故の影響で運行見合わせになっていた。都会で人が止まっているというのには滑稽味を感じるものだけれども、事故でも災害でもなんにしても、電車が止まってしまったときの「都会人」の頭の上には「時は金なり」の吹き出しが見えそうなものです(時間をお金に換えられるなんてのはたとえにしても無理があるし、それを信じてお金に使われていることに無自覚なのもまた滑稽ではあるけれど)。少女モモは止まっている大人たちを見て、はじめに吹き出したのではなかろうか、なんて思ったりしました。
ふと足止めを食ったり、何にもない時間ができてしまったりしたとき、一息ついて、まあこういう時間もあるよね、なんて思えるようでありたいです。予定がなくても、なにもしなくても落ち着いている人は、きっと豊かなのです。
- 作者: ミヒャエル・エンデ,大島かおり
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2005/06/16
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