吹かれて葺かれて、わたしは葦

方法的非方法。徒然なるままに。

深淵さん

 「おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ。」ってニーチェの言葉がありますよね。『善悪の彼岸』からの引用だったと思います。原典に当たってないのでなんとも言えませんが、わたしなりにこれを言い換えてみようと思います。
 ある人を馬鹿にしたときには同じ仕方でその人も馬鹿にされていることになるし、5万円で春を買った人は、自らを5万円の価値に貶めていることになるし、ひんやり冷たくきもちいいタイルを触るときには、タイルに触られている、ってことですよね。主体と客体の峻別、きれいな二分論、もうそろそろこれにはおさらばのときだと思うのですが、いかんせん二分論にわたしたちは慣れすぎてしまっていて、想像するのが難しい。だからこうして例をはさんで考えてみました。
 わたしはあなたで、あなたはわたし。ことばあそびやたとえじゃなくて、本当にそうなんだって、知っている人はいつもそこにいたよ。