吹かれて葺かれて、わたしは葦

方法的非方法。徒然なるままに。

食べ放題の陥穽

わたしには頭の少し足りない友人がいます。先日、彼と食べ放題なるものに行きました。しゃぶしゃぶが、食べ放題。牛肉を食べたいと言えば、薄くスライスされた牛肉が好きなだけ出て来て、豚肉が食べたいと言えば、バラかロースかと問われた上で、これまた薄くスライスされたバラ肉かロース肉かが出てくるわけです。このような食べ放題には往々にして付いているものがあって、それは白米とカレー、そしてアイスクリームに杏仁豆腐といったものです(店側からしたら大量に作っておける、そして見映えがする)。わたしは当然の如く、元を取ろう、元を取ろう、と必死こいて牛肉やら豚肉やらを食べていたのですが、あるとき席を離れて戻ってくると、例の友人がご飯に福神漬けを大量に乗っけて、その隅にちょびっとカレーを添えたものを手にしている。カレーと福神漬けが逆だろう、というツッコミをするほどの余裕も与えないほどに、どうみても元の取れない、元が取れたとしてもわたしなんかは決して食べたいとは思わないそれを、彼は嬉しそうにかかえているのです。わたしはそれを馬鹿だなあ、なんて思っていたけれども、あの嬉しそうな笑顔を前にしていると、どうも馬鹿なのはこちらなのではないかと、そんな気がしてきてしまったのです。すなわち、時間制限付きの食べ放題というルールの中では、一枚でも多く、一片でも多くの精神でつい元を取ることに、少しでも「稼ぐ」ことに躍起になってしまうけれども、そんなことをして、知らず知らず、己の中にあるはずの優先順位を崩してしまっていたのだなあ、と気付かされたのです。彼にとっては何十枚もの薄切り肉よりも、一杯の福神漬け丼が価値あるものだし、本当はわたしにとっても、薄切り肉を途中でやめて、杏仁豆腐に切り替えるタイミングがあったはずだったのです。食べ放題、素敵な響きだけれども、効率至上主義の極致にある食べ物ですね。お腹がふくれたら、残り時間が10分あろうが、20分あろうが会計をすべきなのです。腹十分目まで食べて、しんどい思いをしながら帰る、そして胃腸薬を飲む、そんなことはしなくていいのです。はじめからそういう「遊び」だとわかった上でいく場所なんですね、あそこは。また彼と食べ放題に行ってみたいな、と思いました。